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Sometime Atlas

第十章 『里親になるということ』 05

 

『最後までいい子だった』。その意味はこうです。

 

ナナは13時間、がんばりました。ボクたちにもう一度会いたい、もう一度なでてもらいたい、もう一度いっしょに旅行したい、大好きなクルマにもう一度乗りたい、ママのおいしいごはんをもう一度食べたい・・・わが家にやって来てからの10年と8カ月の思い出を、苦しさと痛さの中で、記憶が薄れていく中で、必至に思い出そうとしていたかも知れません。だって、それがナナの生きた証しなのですから。ナナの一番大切な大切な思い出なのですから。

 

 

 

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 よく遊びに行った、お台場海浜公園の砂浜。都会にこんなビーチがあるなんて、不思議だと、ナナも思っていたことでしょう。ナナは、苦しさの中、痛さの中、10年8カ月のあいだに経験した家族との楽しい思い出が走馬灯のようによみがえったのでしょうか。

 

 

 

 でも、ナナは、13時間、診察台のそばから離れることなく付き添ったボクたちや、長年、お世話になった獣医さんに最期の気遣いをしてくれたのでしょう。獣医さんの診療時間は午後7時まで。それから1時間後の午後8時、「これ以上、みんなに迷惑をかけたくないワン。そろそろ天国に行くね」、と旅立ったのです。

 

  

獣医さんはナナの体をきれいにしてくれて、段ボール箱のようなものに寝かそうとしました。冗談じゃない。ふざけるんじゃない。ボクは昨晩、ふと、何かあったときのために、大きなクッションに取っ手をつけたものを作っていました(担架のようなものです)。ここに来るときもそれで運んだのですが、その柔らかくフカフカなクッションに横たわらせ、ナナが大好きだったクルマの荷室に運びました。ナナはスヤスヤ寝ているようでした。

 

  

その夜、ボクたちはナナをさびしがらせないように、いっしょに寝ました。

 

  

翌朝、ボクたちは目覚めましたが、ナナは目覚めません。現実を、現実を冷静に判断できたのは、不思議なもので、その時だったのです。

 

  

娘は目をはらしながら、ナナのそばから離れません。そして寝ているようなナナに絵本を読んで聞かせていました。ハンス・ウィルヘルムの「ずーっとずっと大好きだよ」です。

 

  

娘はナナに手紙も書きました。

 

『 私の最愛のかわいい妹、ナナへ

 

ナナちゃん、10年8カ月、私にたくさんの幸せと楽しい思い出をくれて本当に、本当に、ありがとう。

あなたは私の守護天使であり、何よりもかけがえのない宝物です。

ナナのこと、永遠に愛しているからね。

わたしの願いはただひとつ。ナナがずっといつまでも幸せでいてくれることです。

天国で楽しく暮らしてね。そして必ず、人間に生まれ変わって、また会おうね。

ナナはいつまでも私の心の中に生き続けるからね 』。

 

  

ナナの葬儀の日、ご近所の犬友達の奥さまが、早咲きの桜の花を買ってきてくれました。「ナナちゃん、公園の桜の花が大好きだったからね」と。そうだ、ナナは公園の桜の木の下で寝ころぶのが大好きだったことを思い出しました。だから、その桜の木を抱かせて天国へ行かせることにしました。

 

 

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             近所の公園にて。ナナは、春になると、公園の小山になっているところでお花見をするのが大好きでした。

 

 

 実は、出棺する前、ボクたち家族はナナの美しい金色の被毛を、思い出に少しだけ、いただきました。ここは背中、ここはおなか、ここはシッポと、部分ごとにビニール袋に入れたのです。「ごめんね、大切な、美しい被毛を切り取ったりして。でも、永遠にナナのことを忘れないためなんだから、許してくれよ」、そう言いながら。

 

 

 そして、ナナが大好きな、しかしナナにとって最後のドライブです。運転手さんに、もうすぐ桜が咲くはずの、ナナが大好きだった公園が見える道順をたどってもらいました。

 

 

 

それからのことは書きたくありません。でも、ナナは今、わが家の、ダイニングルームの出窓の下で眠り、これからもずっとボクたち家族のことを見守ってくれています。3月11日の東日本大震災で、浦安市、舞浜も相当な液状化現象を含めた被害にあいました。けれども、わが家は奇跡的に被害が最小限だったのです(液状化なし)。それも、庭に遺骨となって眠るナナが守ってくれたのかな、なぁんて思っています。

 

  

そんな経験、つらい想いをしたのですから、ペットロスになるのも当然です。だから、それからしばらくしても、新たに犬を迎え入れるなんて、とても考えられませんでした。

 

 

 大切な愛犬を亡くしたあと、愛犬家には2つのパターンがあるようです。悲しみを上回る喜び、幸せを得るためにすぐに新しい犬を飼う。一方、わが家のように、亡くした犬への想いが強すぎて踏み切れない場合があります。

 

  

では、どうしてマリアを里親として迎えることになったのでしょうか?

   

もし、ピカピカの子犬だったら、飼うことはなかったと思います。不幸な犬生をたどったマリアだからこそ、ナナが教えてくれた犬という生き物の素晴らしさ、愛らしさ、コンパニオンアニマルとしての大切さを知っているからこそ、ナナという犬への恩返しの意味も込めて、わが家で幸せにしてあげたいという気持ちが、ついにペットロスを上回ったのです。

 

  

ボクの回りにも、ペットロスに苦しんでいる人たちがたくさんいます。でも、そういう人にこそ言いたいんです。先代がくれた大きな幸せを、喜びを、今度は不幸な犬に分け与えてはどうですか、と。先代に遠慮して、もう犬は飼わない・・・そう思っていたとしても、不幸な犬を微力ながらも幸せにできるとしたら、先代も同じ犬として、きっと喜んでくれるに違いないと思うのです。ボクたちもまさにそういった考え方から、あえて里親を希望しました。

 

  

すると、不思議なものです。ナナとの10年8カ月が素晴らしい思い出となり、不幸な犬を幸せにしたい、という想い、気持ちが、ペットロスを上回り、どんどん強くなっていくのです。それこそが、先代犬への感謝になるのではと。極論すれば、ペットロスに苦しんでいる人こそ、里親という選択肢がいいと思います。新たに犬を飼うことに踏み切れない気持ちを和らげ、背中を優しく押してくれることでしょう。繰り返しますが、成犬なら子犬から飼うより飼育はずっと楽です。

 

 

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 福島県にある湖に面したコテージのお庭にて。マリア5歳の誕生日旅行です。プレゼントをいっぱいもらい、特製ケーキをいただきました。

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