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Sometime Atlas

第八章 『マリアの"一夜にして"ワンダフルライフ 鹿児島の記憶』 04

 鹿児島の記憶-その4

 

 

 

『 Mさんたちは始めての大掛かりなレスキューを行うことにずいぶん戸惑ったみたい。でも最初の一歩を踏み出さなければ現状は何も変わらない。そう決心して、たくさんのボランティアの助言を得てついに実行に踏み切ったの。

 

 

同時に、崩壊している繁殖場が繁殖場として認可されないようMさんは保健所、県庁、知事あてに嘆願書を書いたり、直接会って現状を訴えたりしていたんだって。

  

 

それでやっと行政も少しずつ動いてくれた。犬たちは狂犬病の予防接種を受けたことがないし、繁殖場として認可されるには水道を通すことも必用だったから (水道設備なんかなかったのよ) 、オーナーは行政から何度も指導されたみたい。このころから、Mさんは繁殖場崩壊後の犬たちの所有権放棄に向けて、支援者に呼びかけ募金を募り、水面下で犬たちの預かり先の確保にも動きだしていたの。

 

  

7月末になると度々の行政指導でオーナーはとうとう繁殖場の申請を見送ることに。それでもMさんたちが残された犬たちを譲ってほしい・・・と頼んでも、先々繁殖場を営むつもりだからと断られたそうよ。Mさんはオーナーが同業者に犬たちを売却されてはもとも子もないので、無理なお願いはしなかった。

 

 

ところが8月に入ると、全国の支援者からの働きかけに後押しされ、行政が本格的に動いてくれた結果、突然、Mさんのところにオーナーから"23頭の所有権を放棄する・・・・"という連絡が入ったの。

  

 

Mさんたちはオーナーの家へ出向き、書類に署名をしてもらったそうよ。今後の犬たちの食費、医療費をすべてMさんが負担することを条件に、オーナーは犬たちを里親が決まるまでこの場所に置かせてくれることもまた了承してくれたの。

 

 

 

オーナーは最後の最後になって、犬たちのことをほんの少し考えてくれたんだと思う。だって、けがをした犬や病気の犬はともかく、マリアは健康でまだ2歳の繁殖犬。転売だってできたはずだから ・・・・』。

 

 

 

2007年8月4日、鹿児島の最高気温32・1度。晴れのち雷。暑い暑いその日、晴れてマリアたち23頭は新しい犬生に向けてゆっくりと、しかし確実に動きだすことになったのです(ただし、オーナーはマリアのママのラブラドールレトリーバーとダルメシアンの2頭だけは、なぜか手放しませんでした)。

 

 

 

 

maria&mama(left).jpg

 繁殖場時代のマリアのママ (左) とマリア (右) 。過酷な環境で助け合って生きてきた親子です。

 

 

ただそれは、マリアにとって鹿児島の記憶、身心の傷として永遠に残るであろう繁殖場での、地獄のようにつらい日々を体寄せ合って助け合い過ごしてきた、ママやお姉ちゃんたちとの別れの日が刻々と近づいてきたことを意味していました。

 

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