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Power of Dreams 2100

  • 連載エッセイ『下手の横好き』第129回 2011.08.29

    其の6-16 プラモデルを作る   もしかすると、僕がバルサ材を切り出して重ねて貼って模型のボディをカタチ作るという方法を知っていたのは、本物のレーシングカーのFRPプラスチック・ボディ製作の記事を読んで知ったという可能性が高い。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載 最終回 2011.07.07

     そしてそれはホンダというモビリティー・メーカー全体の近未来を開拓するものにもなるはずだ。なぜならばホンダの2輪事業は、ホンダのすべての企業活動のなかで、もっとも広い世界と、もっとも深い歴史を持っているからである。広い世界と深い歴史を持っているということは、もっとも多くの人びと生活の役に立ち、生活を楽しませてきたということだ。これこそ2輪の世界ナンバーワン・メーカーであるホンダしか持ちえない経験だ。その経験こそが、ホンダというモビリティ・メーカーの近未来を開拓する武器になる。2輪オートバイの近未来を開拓できないとすれば、やがてホンダの4輪事業も汎用事業も同じ壁にぶちあたり、近未来を失う可能性は高い。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載118回 2011.07.07

    EV-neoは家庭用電源で4時間充電すれば、100%の充電が出来て、それで航続距離は30kmである。コミューターとして実用的な性能をそなえている。  価格などリース販売の条件は、まだ未発表だが、近未来のモータリゼーションを考える立場からみれば、こうしてひとつづつ電動モビリティを実用化していくことでしか、社会全体の理解がえられないと思う。モビリティというのは走って見せるから人気が出て広まるものである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載117回 2010.07.06

    ホンダの社長である伊東孝紳は、高校生のときから40年以上もオートバイを愛好してきた人である。すでに書いたが単気筒か2気筒のオートバイが好みで、それを乗り継いできて、いまも許されれば通勤にもオートバイを使いたいという。現在の愛車は4気筒マル・チエンジンの最新機種であるCB1100である。つまりモビリティとしてのオートバイの有効性も楽しさも知り尽くしている人物だ。その伊東孝紳は、電動2輪について、こういう発言をしている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載116回 2010.07.05

     現在、日本の路上を走る電気モーター付きの2輪車は、電動アシスト自転車と電動2輪に大別できる。  後者の電動2輪は、何らかの運転免許証が必要な、ペダル付き原付自転車、電動スクーター、電動オートバイのことである。搭載されている電気モーターが出力0.6キロワット以上であれば運転免許が必要となる。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載115回 2010.07.02

     たとえば単独歩行が困難になった人たちが乗る3輪ないしは4輪の電動カートが現在ある。これは一般販売されていて、運転免許証がいらない。電動の車椅子とおなじ扱いだ。この電動モビリティのジャンルに、電動2輪車が登場してくる可能性は大きい。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載114回 2010.07.01

    だが、ひとつの希望が見えてきている。電気モーターで動くEV2輪の本格的普及によって、このどうしようもない絶望的な状況を揺り動かすことができそうだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載113回 2010.06.30

    「安くていいもの」であるのに、なぜ大衆的な人気がないのかといえば、その商品のもつ方向性が大衆に向いていないからだろう。現在のホンダの2輪商品の「安くていいもの」とは、それはホンダにとって「安くていいもの」であって、大衆にとっての「安くていいもの」とズレがあり、その方向性が、大衆に向かっておらず、ホンダの内部に向かっているからではないか。大衆にとっての理想ではなく、ホンダにとっての理想になっていると思える。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載112回 2010.06.29

    だが、それでもハーレーダビッドソンのほうが売れているのだから、抜群の人気があるということだ。少なくともホンダの大型バイクより、日本の大型バイク・ファンに人気がある。ホンダの大型バイク商品は、安くても人気がない。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載111回 2010.06.28

     ホンダ・ドリームCB750フォアについて特筆すべきことは、この4気筒マルチ・エンジンの大型バイクが「安くていいもの」であったことだ。日本での価格は38万5000円で、日本で販売されている日本製バイクではいちばん高額であった。当時のホンダの360cc時代の軽自動車である大衆車ホンダN360が31万3000円という時代にあって、38万5000円の750cc大型バイクは高く思えるが、大型オートバイのユーザーから見れば安かった。アメリカやヨーロッパから輸入される大型バイクの半分以下の価格であったからだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載110回 2010.06.25

    日本の2輪マーケットである。2輪車が売れなくなっている。2009年の2輪車新車販売台数は38万777台である。4輪自動車の年間販売台数がざっと460万台という国にあって、その10%にも満たない。リーマン・ショック以降の世界同時不況の影響をもろにうけた年であったが、それにしても販売台数は低下する一方である。2輪車の国内販売台数のピークは 1982年で329万台が売れた。それにくらべて2009年は9分の1強でしかない。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載109回 2010.06.24

    ホンダの2輪商品でみれば、中国製品のみならずタイ製の125ccスクーターであるPCXが日本へ輸入されている。PCXは今年2010年3月末に発売されたが、たった3週間で年間計画販売台数の8000台をほぼ達成し、さらなる販売台数増加が期待される人気商品となった。その価格は30万円弱で、ライバル他社の 125ccスクーターより大幅に安いということはないが、とてもスタイリッシュで高性能で、装備も充実しているという、いわゆるワンランク上の商品であった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載108回 2010.06.23

    もちろん産業の空洞化問題は、何が何でもすべての産業を国内でおこなうべきだというものではない。産業先進国における宿命的課題としてうけとめ、産業構造全体の主体的変革を考える以外の解決方法がないだろう。そのことはホンダとて例外ではない。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載107回 2010.06.22

    日本の同クラスのオートバイのざっと3分の1の価格である。インドは自動車産業の基盤が広く深いから、この価格が可能になったのだろうが、「安くていいもの」路線は、インドにおいては健在である。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載106回 2010.06.21

    この4ストローク化の先鞭をきり、製造コスト上昇という困難を克服して、世界各国で販売する全オートバイ商品を4ストローク・エンジンにしたのはホンダであった。「地球との共生」を21世紀のビジョンとしてかかげ「先進創造と環境」を追求してきたホンダとしては、やるべくしてやった4ストローク化であった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載105回 2010.06.18

    経済発展の途上にある国で名目GDPが1,000ドルを超えると、その国は2輪のマーケットが拡大していくと言われてきた。ところが現在では、それが500ドルぐらいになった、と大山は言っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載104回 2010.06.17

    ホンダが考える「安くていいもの」について、2輪事業本部長の大山龍寛は、ファイナンスつまり2輪ローンにからめて、このような興味深い話をしている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載103回 2010.06.16

    したがってホンダの2輪事業というのは、鍛え抜かれたところがある。2輪事業は経済発展の途上にある国々へ進出するわけだから、急激な経済変動にあうことも少なくない。そうした海外の2輪事業の特性について、2輪事業本部長の大山はこう説明している。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載102回 2010.06.15

    4輪事業の売り上げが落ちると2輪事業の売り上げが相対的に大きくなって、それがホンダ全体の売り上げ減少を支えるような形になるというのが、ホンダの2輪事業の強みだといわれてきた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載100回 2010.06.11

     ホンダは創業期より「三つの喜び」という部外者にとっては不思議に思えるモットーを掲げている。モットーというよりホンダのビジネス原理である。それは「造って喜び、売って喜び、買って喜ぶ」で、表現が直接的すぎるせいで抽象的にならざるを得ないユニークなスローガンなのだが、この本田宗一郎のバタバタ的体験を知れば、その真意が理解できる。そしてこの「三つの喜び」というビジネス原理が、「喜び」の質を徹底的に問わずにして存在できない原理であることもわかる。  

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載099回 2010.06.10

     ここにきて本田宗一郎は確信した。大衆が生活をしていくために必要とする商品を適正に提供すれば、喜ばれヒット商品となる。そのメーカーこそが、大衆社会における最良のメーカーである。そしてこれこそが大衆社会でメーカーを指向する技術者が見られる最大の夢であった。大衆を喜ばせることによって、自分自身の自己実現が可能になる。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載098回 2010.06.09

    第7章 ホンダはオートバイ・メーカーである      オートバイ・メーカーであるホンダの原点を、もう少し探っておきたい。文献にのこる本田宗一郎がオートバイに乗ったという記録は、1924年(大正13年)の正月休みのために郷里の静岡県天竜へ帰省す

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載097回 2010.06.08

    第7章 ホンダはオートバイ・メーカーである     そのような技術者であった本田宗一郎が、戦後になって本田技研工業を設立して、最初にオートバイをその主力商品としたのは、オートバイが人びとの生活の役に立ち、人びとの生活を楽しくしたからである。その原点を理解しなければ、ホンダが今日も世界最大のオートバイ・メーカーであり続けていることがわからない。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載096回 2010.06.07

    ホンダは本田宗一郎の夢を実現することで成長を続けたきた企業であるというのは比喩ではなく、現実であったのだとホンダジェットがおしえてくれた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載095回 2010.06.04

    3億円をかるくこえる価格のホンダジェットであっても、パーソナル・モビリティとして個人に向けて販売するというのは、いかにもホンダらしい。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載094回 2010.06.03

    そのアメリカ人男性は、ビジネスジェットの愛好家で、ホンダジェットの初飛行を報道した新聞に掲載された写真で、ホンダジェットの姿を見ていたのである。バハマのリゾートホテルで、ホンダジェットの話をしたとき、ぜひ買いたいと言っていた。その約束を守るために、受注開始を待って、文字通り自分のビジネスジェット機で飛

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載093回 2010.06.02

    藤野は本田宗一郎の夢がなかったら、自分の夢が叶わなかったということに気がついたのである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載092回 2010.06.01

    歴代のホンダ社長は、航空機開発プロジェクトが本田宗一郎の夢であったことを知っていたし、それを実現しようとしてきたのである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載091回 2010.05.31

    ホンダジェットを航空ショーに展示しようと考えたのである。2005年のことだった。そのときの気持ちを、藤野はこう言っている。「ホンダジェットを事業化する、つまり製造販売できなければ、ここで終わりだと思いました。社内では事業化は難しいだろうという意見が多いと感じていましたから、航空機プロジェクトが終了する公算が強かった」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載090回 2010.05.28

    こうした紆余曲折のなかで、ホンダジェットの試作機作りが続けられていた。細心の作業で組み立てを完了すると、入念な強度試験がおこなわれた。次の段階は地上走行試験と初飛行であった。 そして2003年11月に、地上走行試験、航空機業界の言葉ではタキシー試験を開始できた。そのときの感動を、藤野はレポートにこう書いている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載089回 2010.05.27

    2年がかりの入念なホンダジェット設計がおわると、いよいよ実際に試作機の製作を始めた。1999年のことである。 設計図に描かれたホンダジェットは、実験機MH02型よりひとまわり小型であったが、キャビンスペースは広くなった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載088回 2010.05.26

    997年、ふたたび藤野道格たちは、航空機製作のプロジェクトに着手することになった。独自に研究開発を続けていたホンダ製ターボファンジェット・エンジンが実用化の段階へと仕上がり、それを搭載することが決まった。 「主翼上997年、ふたたび藤野道格たちは、航空機製作のプロジェクトに着手することになった。独自に研究開発を続けていたホンダ製ターボファンジェット・エンジンが実用化の段階へと仕上がり、それを搭載することが決まった。「主翼上面にエンジンを搭載したホンダジェットの設計には2年間の時間が必要だった」と藤野は言っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載087回 2010.05.25

    ンダの経営は、1994年のどん底から脱出していく。オデッセイ、CR-V、ステップワゴン、S-MXとRV系にヒット商品が生まれ、フィットを代表とするコンパクトカー路線へとヒット商品を拡大する。しかし1996年あたりでは、まだ社内の構造改革とTQM導入の過渡期である。航空機研究プロジェクトについて、経営陣が真正面から考える余裕がなかったと思える。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載086回 2010.05.24

    すでに航空機研究開発を開始して10年がすぎていた。この10 年間で、ホンダは航空機の技術者を育て、研究開発の方法を手に入れていた。その資金は、すべて自前である。ホンダは、すべての技術を独自に開発しようとして、実際にそれをやってのける。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載085回 2010.05.21

    1993年に飛行試験を開始した実験機MH02型は、ホンダが初めて自社設計して開発した記念すべき飛行機となった。しかも実験機ではあったが世界初のオールコンポジット製ビジネスジェットである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載084回 2010.05.20

    1988年になると、本格的な飛行機開発がスタートした。実験機と位置づけられたMH02型の開発計画である。この開発計画の最大のテーマは、オールコンポジット(全複合材製)の超小型ビジネスジェットの機体開発にあった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載083回 2010.05.19

     ホンダジェットの開発プロジェクトは、機体とエンジンがそれぞれ独立した別々のプロジェクトとして発足している。航空機と航空機エンジンという呼び方で区別をしていたようである。1986年の基礎技術研究センター設立の時点では、この研究センターの存在すらも秘密で、ホンダの従業員とて知らされてはいなかったから、発表された資料というものが存在していない。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載082回 2010.05.18

     藤野道格の人柄は興味深い。とても冷静な思考をする慎重なリアリストだが、腹の底には煮えたぎるような情熱をもっている人だと思った。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載081回 2010.05.17

    ホンダのパーソナル・モビリティメーカー路線のなかで、ひときわ象徴性が高いのは航空機部門であろう。 だが不思議なことに、ホンダが小型ジェット機を作っているらしいという話は一般的な知識として多くの人たちが知っているのだが、それが受注を開始していることは、ほとんどの人たちが知らない。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載080回 2010.05.14

     だが依然としてU3-Xは、何だかわからない。そのことは開発責任者の小橋慎一郎自身も認めることである。「私自身も、何だかよくわからないことに取り組んできたなという気持ちがしています。何だかよくわからないものを開発しているというのは、それなりに大変な開発業務でしたが、楽しみながら苦労したという感じです。そして開発目標どおりに人と調和するU3-Xという新しいモビリティを作った」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載079回 2010.05.13

    小橋慎一郎の話を聞いていくと、U3-Xの開発目的は、徹底的に人にやさしいモビリティの模索であったことに気がつく。それは絶対的な開発目的だった。なぜならばASIMOを基点とするホンダのロボティクス技術は、人の生活のなかで役立つモビリティをめざしているからである。そのことについて小橋は、こう説明している。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載078回 2010.05.12

    すでに書いたが、U3-Xのアイデアは「自由自在に動きまわる魔女のホウキか魔法の杖みたいな乗り物」から出発している。最初から雲をつかむような話と言わざるをえない。しかしながら、こういう未知の乗り物を、それが商品になるかどうか不明であっても、業務としての研究開発を許可してしまう上司たちの存在が、ここでも光っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載077回 2010.05.11

    U3-Xの最初のアイデアは「未来の乗り物についてワイガヤしていたときに1枚のスケッチを描いたのです。自由自在に動きまわれる魔女のホウキか魔法の杖みたいな乗り物だった」と小橋慎一郎は言っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載076回 2010.05.10

    U3-Xに乗るは、きわめて簡単である。 上方の黒い円形の部分を左右に引き出すとシートになる。下方の左右には埋め込み式のステップがあるので、それを引き出す。そしてシートに腰をおろして、ステップに両足をのせる。これで乗車完了である。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載075回 2010.05.07

    夢という言葉はホンダのキーワードである。今日、ザ・パワー・オブ・ドリームスはホンダのメイン・スローガンであり、ホンダがまだオートバイ・メーカーであった時代にいちばん人気のあったオートバイはドリーム号と名づけられていた。ただしホンダの創業者である本田宗一郎は、実現出来ない夢を嫌った。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載074回 2010.05.06

    体重支持型歩行アシストの現段階の試作機は、それをそのまま発売すれば必要とする人たちがいると思えるほどに完成されている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載073回 2010.04.30

    体重支持型歩行アシストに乗って歩き出すと、ほんの小さな力で体重が下から押し上げられていることがわかる。それは体重支持型歩行アシストの存在を意識しているからわかるもので、何か他の作業にいそしんで夢中になってしまえば、その存在さえ忘れてしまうだろうと思える。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載072回 2010.04.28

    このような手軽さは「開発当初から意図したものだ」と芦原淳は言っている。「めざすところは電動アシスト自転車のような存在です。人にやさしく、手軽に使えるものであること。装着に時間がかからず、調整が簡単であること。これらのことは研究開発の目的として、最初から掲げていました」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載071回 2010.04.27

    ここから芦原淳たちのプロジェクトチームは、勝負に出る。一気に実用化への道筋をつけてしまおうと考えた。そうしなければ、いつまた、プロジェクト終了が言い渡される危機的状況がやってこないともかぎらない。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載070回 2010.04.26

    芦原は体重支持型歩行アシストの研究に取り組んだ。やがて、体重を支える力、すなわち床を蹴る脚の力をアシストすれば、筋肉と関節の負担が楽になるという着想を得た。その床を蹴る力が、人間の重心に向かっていることもわかった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載069回 2010.04.23

    1999年に基礎技術開発センターは歩行アシストの研究開発プロジェクトをおこしている。古い資料をみると歩行アシストではなく、歩行補助装置と書かれている。そのプロジェクトが発足して1年ほどしてから芦原淳は、希望してプロジェクトの一員となった。当時のプロジェクトの状況について、こう言っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載068回 2010.04.22

    いまはまだ「商品化」という言葉が芦原淳の口から出てこない段階だが、そのときを虎視眈々と狙って研究開発は続行中だ。なにしろ体重支持型歩行アシストは、芦原が10年以上の年月をかけて情熱を注ぎ込んできた商品研究開発なのである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載067回 2010.04.21

    芦原淳は、この体重支持型歩行アシストの構造と原理を、こう説明している。「シートの下に屈曲型、パンダグラフのような構造のフレームがあり、そのフレームの太い部分にモーターが入っています。そのモーターで、スプリング的な力を出して、シートに座っている人の体重を押し上げます」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載066回 2010.04.20

    体重支持型歩行アシストの試作機を見せてもらった。昆虫のカマキリの脚のような形状のフレームに、自転車というか馬の鞍のような小さなサドルがついていて、足は装備されている専用スニーカーを履く。リズム歩行アシストは、腰から太ももに装着するというものであったが、体重支持型歩行アシストは跨いで乗るというイメージだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載065回 2010.04.19

    だからこそ及川清志は、あくまでも慎重な姿勢を崩さない。「これはリズム歩行アシストの宿命かもしれないけれど、もの凄く過剰な期待をもたれてしまうことがある。これを装着すれば、たとえばまったく歩けなくなった人が歩けるようになるなどの劇的な変化をもたらすものではありません」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載064回 2010.04.16

    実際の病院で、リハビリテーションをする歩行訓練者と理学療法士、医師によってリズム歩行アシストが試験的に使用されたことは、及川清志たち研究開発チームに大きな成果をもたらした。 両足麻痺で脚がなかなか前へ進まない歩行訓練者が、すっと脚を前に出せるようになる。脚を引きずっていた人は、引きずっているように見えないぐらいの歩行をした。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載063回 2010.04.15

    そして正念場がやってきた。2007年10月の国際福祉機器展に参考出展することが許されたのである。初めてリズム歩行アシストを一般公開する。これは勝負のときであった。この参考出展で実用化への道を開拓できなければ、歩行アシスト研究開発プロジェクトは終了解散になる可能性があった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載062回 2010.04.14

    及川清志はリズム歩行アシストの研究開発に邁進した。まず基本となる考え方を整理していく。最初に、歩行をアシストして楽に歩くことは、本当に人間にとっていいことなのか、という根本的な問題を考えた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載061回 2010.04.13

    ここで及川清志が言っている「ASIMOの方向とは別の、新たな方向の技術開発」ということを、まず噛み砕いておかなければならない。歩行アシストは、まったく新しいマシンだから、その考え方や技術をひとつひとつ知っていかないと理解できないところがある。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載060回 2010.04.12

    及川清志(53)は電子工学を学んだ本田技術研究所の主任研究員である。生真面目そうな表情で、無駄な言葉を口にせず、とつとつを話す人である。ときにみせる笑顔がやさしい。同僚たちは「真面目で、したたか」と、その人柄を語っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載059回 2010.04.09

    世界同時不況が深刻化する一方の2008年11月7日に、ホンダは体重支持型歩行アシストのプロトタイプを公開した。自力歩行をする人の、脚の筋肉や、股関節、膝関節、足首関節の負担を軽減する歩行アシストである。階段の上り下り、中腰での作業が楽になるというものだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載058回 2010.04.08

    それが2010年5月から発売される予定の小型発電機エネポEU9iGBであった。ピアンタの発売から、おそよ14か月後になる。最初にピアンタを発売して、そのユーザーからの意見やクレームを十二分に吸い上げて、満を持して小型発電機を発売するという商品戦略があったようだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載057回 2010.04.07

    つまりピアンタは、ホンダの2輪4輪商品と同じように、商品力が営業販売すべてを牽引していく商品にほかならない。その商品の魅力的牽引力のひとつが、ピアンタが見せてしまう途方もない「夢」である。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載056回 2010.04.06

    しかし開発開始から営業としてピアンタを担当してきた汎用営業部の安井真は、手放しで喜んではいない。斬新なアイデアを新商品に練り上げたピアンタは、その商品力で最初の1年間は人気を集めただけで、販売の体制がまだ十分ではないのだと言う。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載055回 2010.04.05

    第6章  パーソナル・モビリティメーカーの可能性     ヒット商品となった、カセット・ガスボンベの燃料で動く斬新なミニ耕耘機ピアンタは、多機能という商品的魅力を持っていた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載054回 2010.04.02

    第6章  パーソナル・モビリティメーカーの可能性     その提案をした安井真は、十分な市場情報とデータを持っていて、きちんと分析が出来ていた。ホームセンターという販売の現場を2年間にわたって歩いてきたからである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載053回 2010.04.01

    第6章  パーソナル・モビリティーメーカーの可能性     そのピアンタについて取材をしたいとホンダ広報部に申し込んだところ、取材に応じていただけたのは日本営業本部・汎用営業部・事業企画ブロック・チーフという肩書きを持つ安井真であった。29歳という若さである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載052回 2010.03.31

    第6章 パーソナル・モビリティ・メーカーの可能性     ホンダが世界同時不況に果敢に立ち向かっている真っ最中の2009年3月3日に、とても興味深い汎用商品が発売された。小型耕耘機のピアンタFV200である。メディアに配布されるプレスリリースには「家庭用カセットガス燃料を使用するガスパワー耕耘機」と説明されていた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載051回 2010.03.30

    深まる世界同時不況の最中に、社長交代内定を発表したホンダは、新型インサイトを発売し、連結決算を黒字に持ち込んだことで、きらりと光った。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載050回 2010.03.29

    福井威夫から伊東孝紳へとホンダの社長交代が発表された2009年2月は、世界同時不況が深まるばかりで、予測不可能な経済状況は不気味さをともない、人心は不安をつのらせつつあった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載049回 2010.03.26

    そのための具体的な方向は、ハイブリッド技術にあるのか、という質問に伊東孝紳は、こう答えている。 「現実のルーティーンワークのゾーンで言えば、ハイブリッドでしょう。これから20年間ぐらいは、まだガソリン燃料が主流だとみています。その流れのなかで実際の効果を求めればハイブリッドだと考えます」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載048回 2010.03.25

    その福井威夫からバトンタッチをうけた伊東孝紳は、「パーソナル・モビリティの新しい時代を切り開く。いま守りに入ったら沈んでしまいますよ。だから私がやるべきことは、従業員と語り合い、我われがチャレンジする方向を鮮明に提示することです。これが私がやらなければならない最大の義務ですね」と言い切っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載047回 2010.03.24

    福井威夫の発言のなかに、TQM(トータル・クオリティ・マネジメント)の話が出てきた。総合的品質管理という日本語になっている。1980年代のアメリカで考え出された経営手法で、1990年前後に多くの日本の企業が取り入れたトップダウン型経営の品質管理マネジメントだ。その当時、もっとも先進的な経営システムだとさえ言われていた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載046回 2010.03.23

    この2009年2月の時点で、これだけのことが決められているという手回しの速さは、ホンダの経営の大きな特徴である。各部門、各地域の権限が委譲されて独立性を高めているが、それと同じ考え方で社長にも多くの権限があたえられている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載045回 2010.03.19

    ホンダにとって研究所とは、どのような存在なのか。伊東孝紳はこう言っている。「研究所は現在から将来を見据えて、あらゆる可能性を模索し、いろいろなリサーチをして、さまざまな技術を出し続けなければならない。そのために凄く巨大な組織で、巨大な経費を使っている、独立した会社として、過去から今日まで運営されてきた」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載044回 2010.03.18

    25歳になる1978年にホンダへ就職する。最初の1年間は、8か月間の工場実習と4か月間の二輪研究所実習だった。ホンダの従業員となった者は全員が長期の工場実習をうける。そのことを伊東孝紳は絶賛している。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載043回 2010.03.17

    第5章  深まる世界同時不況  そして社長交代      新聞や経済誌の報道によれば、新社長に内定したのは55歳の伊東孝紳で、6月の定期株主総会で正式に社長に就任する。また4月に本田技術研究所の社長にも就任し、兼任となる。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載042回 2010.03.16

     このような数字が新聞に連日掲載されたのが2009年2月である。世界同時不況は実体経済に凄まじいダメージをあたえていた。そういう2月23日、ホンダは社長交代を発表する記者会見を開催した。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載041回 2010.03.15

    第5章  深まる世界同時不況 そして社長交代    2009年2月5日に新型インサイトを発表したホンダは、深まるばかりで底がみえない世界同時不況の時代に、ひとつ明るい話題を提供した。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載040回 2010.03.12

    ホンダの創業社長である本田宗一郎は100年にひとり生まれるかどうかという希代の人物であったから商品開発と生産の両方の部門のトップに立つスーパースター社長であることを許されたが、その創業社長から引き継いだ2代目社長の河島喜好は、それを成し遂げるのが2代目社長の仕事だと決意したように、ホンダ初の集団経営体制を構築し安定させている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載039回 2010.03.11

    インタビューの記録には、福井威夫の本音ともいえる、ひと言があった。「本当は私が商品の売価まで口に出して言ってはいけないのです。商品の売価は国内だと国内の営業本部が決め、アメリカだとアメリカ・ホンダが決めるものですよ」  

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載038回 2010.03.10

    そのとき福井威夫の頭のなかにあったのは、若き日にCVCC開発の一員であったときの記憶だ。世界中の自動車メーカーが、アメリカのマスキー法をクリアする低公害エンジンの開発は不可能と正式な場所で発言していたが、本田宗一郎だけは「ホンダは出来ます」と表明した。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載037回 2010.03.09

    ホンダが言うところの「安くていいモノ」というのは、つまりイノベーションによるレボリューションである。4輪商品でいえば、本格的な4輪生産を開始した1967年(昭和42年)に発売されたN360であろう。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載036回 2010.03.08

    このような廉価な小型ハイブリッド・5ドア・ハッチバックを2005年に構想し、2006年から開発を開始したのが、当時ホンダ社長の福井威夫であった。それが新型インサイトとなって花開き、世界同時不況によるデフレ時代の真っただ中の2009年2月に新型車として登場する。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載035回 2010.03.05

    もうひとつ、新型インサイトの開発にあたって福井威夫が絞り込んで考えたことがあると伊東孝紳は言っている。 「技術者としての福井さんのセンスが光っていた。IMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)というハイブリッド・システムを、よく見つめて、よく理解して、その特性を最大限に発揮させるのだ、と福井さんは主張された」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載034回 2010.03.04

    こうした最終的な判断は、経営トップだけが出来ることだ。カタログに記載されている10・15モード燃費は、宣伝広告に使う数字だから、その数字が実用燃費だと信じてしまう人は少なくない。モード燃費の数字がいいに越したことはないのだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載033回 2010.03.03

    福井威夫が、あらたにホンダのハイブリッド路線を構築しようと考えたとき、その基調となったものは、ホンダのフィロソフィであり、ホンダの原点へ回帰することであった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載032回 2010.03.02

    この時代と状況の分析のうえに、具体策として売価を考えていく。福井威夫はこう言っている。「初代インサイトからシビック・ハイブリッドと我われはやってきましたから、コストはわかっています」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載031回 2010.03.01

    「環境イメージ・ナンバーワン」奪還に向けて福井威夫が具体的な活動を開始したのは2005年後半だと思われる。そのとき新型インサイトの基本コンセプトが決まった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載030回 2010.02.26

    「ホンダは環境イメージ・ナンバーワンでありたい」と前社長の福井威夫は在任中に、よく語ったものだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載029回 2010.02.25

    ホンダのハイブリッド・システムであるIMAインテグレーテッド・モーター・アシストは、初代インサイトから採用されている、きわめてシンプルでコンパクトなシステムだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載028回 2010.02.24

     「インサイトの開発、生産、販売は、ホンダという企業の総合力そのものなのだ」と福井威夫は言っていた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載027回 2010.02.23

    他ならぬホンダの4ドア・セダンのラインナップも、大型化していた。小さい方からフィット、シビック、アコード、インスパイアー、レジェンドとあるが、現在のシビックは先代のアコードと同じぐらいの大きなサイズで、同様にアコードもインスパイアーと同じほどの大きさになっていた。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載026回 2010.02.22

    都内千代田区のホテルで開催されたインサイト発表会は盛況であった。もっとも多くの招待者が集まる一般雑誌や自動車専門誌関係の回は、400名以上の人びとで広い会場が満員となった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載025回 2010.02.19

     ホンダの2009年1月の動きはどうだったのか。これもまた守りを固める一方であった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載024回 2010.02.18

    2009年1月、年が明けたとはいえ、世界同時不況は日本の自動車産業を追いつめていることには変わりがなかった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載023回 2010.02.17

    だから、この世界同時不況という異常事態に、ホンダのこの事業構造は「幸いした部分がある」と近藤は認める。しかし、あくまでも「部分」なのだ。

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  • 中部博トップページの動画を更新。CR-Zの動画(YouTube)も? 2010.02.16

    BOOK PEOPLE ATLAS 中部博のトップページの動画を更新しました。2月後半発売予定の新車CR-Zの動画(YouTube)。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載022回 2010.02.16

     2009年3月期の連結決算での黒字は、こうして実現する。全世界にある連結子会396社と持ち分法適用子会社106社のホンダ・グループの連結決算を黒字に持ち込んだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載021回 2010.02.15

    「何が何でも赤字にはしない。何としても黒字にする」と近藤広一が腹をくくったのは、リーマン・ショック直後の2008年10月だったと言う。その理由は、きわめてリアルだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載020回 2010.02.12

     その近藤もまた、リーマン・ショック直後は「ウチはアクションを起こすのが、ちょっと遅れた」と言う。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載019回 2010.02.11

    こうした対応策の立案と実行を推進する伊東孝紳を領導していたのは副社長の近藤広一であった。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載018回 2010.02.10

    わかりやすい言葉で端的に話す、というのが伊東孝紳の持ち味である。この話は、リーマンショックから1年以上が過ぎた2009年11月にインタビューしている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載017回 2010.02.09

    そのとき伊東孝紳は、世界同時不況に対応するタスクフォースチームのリーダーとして奮闘していた。

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  • 『ホンダ・モビリティーメーカーの近未来』連載016回 2010.02.08

    ホンダの社長人事は、現社長が次期社長を選任する。経営は集団経営体制だが、こと社長人事だけは現社長ひとりが考え、決定するものだという。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載015回 2010.02.05

    だが、ホンダのF1撤退発表は、少しばかり皮肉な存在になった。日本の自動車メーカーのモータースポーツ活動大幅縮小の口火を切ったような情勢になってしまったのである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載014回 2010.02.04

    結果としてホンダF1チームを引き継いだブラウン・グランプリがチャンピオンを獲得した。ホンダはもったいないことをした、と言われた。あと1年やっていれば、ホンダF1チームがチャンピオンになったかもしれないのだ。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載013回 2010.02.03

    ホンダはF1撤退の下準備をしていたと推測できる。どうすればF1グランプリの世界に大きな迷惑をかけずに撤退できるかを考えていたはずである。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載012回 2010.02.02

     こうした急激な業績悪化のなかで福井威夫はF1撤退を決断した。その理由を、福井は自分の言葉で、こう言っている。「ホンダは二輪四輪のモータースポーツ活動をしていますが、F1は例外的に規模が大きい」

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載011回 2010.02.01

    衝撃の「ホンダF1撤退発表」から、およそ1年間がすぎた2009年11月に福井威夫から話を聞くことができた。すでに6月の株主総会で社長を退任され、取締役相談役にしりぞいていられる。  あの迅速な決断を、どのように下したのか。福井威夫は、こう言っている。

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載010回 2010.01.29

    毎日更新  連載ルポルタージュ:010回第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 F1撤退の緊急記者会見で当時の社長である福井威夫氏は「自動車の次の100年」について語った その「次の100年」つまり...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載009回 2010.01.28

    毎日更新  連載ルポルタージュ:009回第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 F1撤退を発表する緊急記者会見で、新しい総路線について言及する当時の社長である福井威夫氏 そういう判断をすさまじいスピ...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載008回 2010.01.27

    毎日更新  連載ルポルタージュ:008第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 ホンダは緊急記者会見で「F1撤退」を発表した。無念の表情を浮かべる福井社長と大島担当役員(役職は当時) そもそも第3期の...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載007回 2010.01.26

    毎日更新  連載ルポルタージュ:007回第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 F1撤退を発表する緊急記者会見で記者に質問に答える当時モータースポーツ担当役員の大島裕志氏(中央左側)  しかしながら...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載006回 2010.01.25

    毎日更新  連載ルポルタージュ:006回第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 ホンダ本社の緊急記者会見には400名近い報道陣が集まっていた 興味をひかれたのは、第3期の成績不振の最大の理由を質問さ...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載005回 2010.01.22

    毎日更新  連載ルポルタージュ:005回第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 緊急記者会見で1時間の質疑応答に自分の言葉で答える当時の社長・福井威夫氏 記者たちの質問のいくつかは辛辣であった。なか...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載004回 2010.01.21

    毎日更新  連載ルポルタージュ:004回第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日「F1活動撤退」緊急記者会見で1時間の質疑応答に応じる社長の福井威夫氏とモータースポーツ担当役員の大島裕志氏(役職は当時...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載003回 2010.01.20

    毎日更新  連載ルポルタージュ:003回第1章  緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 緊急記者会見で「F1活動撤退」を発表する当時のホンダ社長・福井威夫氏  緊急記者会見の会場となったホンダ青山本社の2階...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載002回 2010.01.19

    毎日更新  連載ルポルタージュ:002回第1章 緊急記者会見  F1撤退 2008年12月5日 東京港区のホンダ本社2階で開催された緊急記者会見   世界同時不況は高額大衆商品であるクルマを製造販売する全世界の自動車...

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  • 『ホンダ・モビリティメーカーの近未来』連載001回 2010.01.18

    人類が初めて経験する世界同時不況襲来! 日本の自動車産業は危機的状況に陥った。 そのときホンダは、どう動いたのか。生き残るために何をすべきなのか。 世界経済危機を乗り越えるための武器はただひとつ、「夢」であった。 月曜日から金曜日まで毎日更新する迫真の企業ルポルタージュの連載!

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