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NONFICTION フクシマのゴウ君とミヤギのコバヤシ君

『フクシマのゴウ君とミヤギのコバヤシ君』連載第32回

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福島第1原発から10キロ圏内はいまだに立ち入り禁止地域だ。警察官が検問にあたっている。国家が立ち入り禁止にしているのだ。ここを立ち入り禁止にしなければならない責任は国家が負っているということだ。2012年の夏に撮影した。
撮影/大島康広 1977年佐賀県嬉野市生まれのフリーランスカメラマン。

静かな怒り

 コバヤシ君と話していたときに忘れられないのは「この国がダメになっていくことしか考えられなくなって、気弱になった。虚無的というのでしょうか」という言葉だ。

 話し言葉だから、言葉が省略されていて、ダメになっていくのは個々人の生活で、だから最終的に国が滅びるということだ。そういうことを被災者のひとりに言わせてしまう現実がある。

「人間が作り出したものは、すべて信じられなくなった。だから時間があれば酒を飲んでばかりいる」

 コバヤシ君が感じている苦痛をいやすものは、もはや酒しかない。

 しかしこれは静かな怒りというものだ。被災地の人びとは、誰もが怒りをもっていると思う。大地震と大津波と原発爆発に怒っている。だが大自然のやることに怒りをむけても、それは人間の無力を再確認することでしかない。なぜ、東北の太平洋沿岸に大地震がきて大津波に襲われたのかと怒るが、それこそ神のみぞ知るわけで、人間ができることは祈ることぐらいだ。だが、何度もくりかえすが原発爆発だけは、原発を作らなければ避けられたはずだ。だかか事故をおこした原発のどうしようもない存在が人びとの気持ちを痛めつけている。

 生活をする土地をすてて逃げ出すという方法はあった。だけれども、それは簡単なことではない。コバヤシ君とて、一度はそれを考えた。

「しかしね、僕ら夫婦が埼玉から宮城へ来たのは、義理の母親の介護をするという目的があり、他にもさまざまな理由があった。そのなかのひとつは家計の問題もある。宮城のほうが生活コストが安くなる。そうした問題をひとつひとつ考えていくと宮城から逃げ出すことは無理だと判断した。僕ら被災地の者たちで、逃げ出せる人はとっくに逃げてしまったと思う。残ったのは逃げられない理由がある人たちでしょう。その人たち個々にしかわからない、それぞれの逃げられない理由がある。そう判断したときから僕は、被曝を軽減することをやめた。マスクをしなくなり、食料を買いに行ってもベクレル値を気にしなくなった。どうせ地元産や福島産の野菜しかないのですから、気にしても始まらない」

「逃げられない理由」があるのは大人だから、せめて子供だけでも疎開させたほうがいいという意見があるが、それはいまのところ政治家や行政官僚には無視されている。政治家や行政官僚には「逃げられない理由」のある人たちの気持ちがわからないからだ。東京電力という会社をやめられない人たちの気持ちを、東京電力の社長やら経営陣がわからないのと同じことだ。それは政治家や御製官僚や東京電力の経営陣が加害者だからだろう。被害者の気持ちをすべて理解したとき、自分たちが加害者だという事実がはっきりとしてしまうからだ。たったそれだけのことで疎開させたい者が疎開できないでいる。

 もしかしたらサイレントマジョリティは自分たちを支持しているとさえ考えているかもしれない。人間には静かな怒りというものがあるのだということがわからない人たちだから、それぐらい不遜なことは考えていると思ってしまう。そういう不幸について、政治家や行政官僚や東京電力の経営陣は考えたことがあるのかと問いただしたい。


2013.02.25|07:05|中部 博
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