中部 博のトップ

NONFICTION フクシマのゴウ君とミヤギのコバヤシ君

『フクシマのゴウ君とミヤギのコバヤシ君』連載第31回

_DSC5280.jpg
昨年の夏の終わりに見た福島第1原発北側20キロ圏内「避難指示解除準備区域」の風景である。大津波に襲われたままの畑が1年半ほど放置されていた。すぐそばにあった原発が爆発事故を起したからだ。なんというやるせない風景なんだろうと思った。この地で生まれ育った人たちは、この風景から大震災後の人生を再スタートさせなければいけないのか。それはあまりにも過酷なことだと思った。
撮影/大島康広 1977年佐賀県嬉野市生まれのフリーランスカメラマン。

コバヤシ君が失ったロマンという夢と希望

 僕もまた大震災以降、自然災害とこの国の政治家と官僚役人、つまり偉い人たちに対する考え方が変わった。

 首都圏で生まれて育てば誰もが、必ず関東大震災はふたたび発生するという情報はどこかでキャッチするもので、それがいつなのかはわからないが、大震災が発生すると思って生きている。普段は忘れているけれど、大きめの地震が発生すると、これが大地震なのかとふと思う。そんな話を家族や仲間とすることもあって、たいてい結論は、そのときどこで何をしているかで生死が決まるというふうなことになる。地下鉄に乗っていたら危ないのではないかとか、地上電車のほうが危険性が高いとか、首都高速道路をクルマで走っていたら高架道路が崩れ壊れて落ちるというような話になるが、ようするに運がいいかわるかだというオチになるものだ。

 なぜならば首都圏を大地震が襲ったら、どうなるか、正確に知らないからである。たとえば首都高速道路が壊れて崩れたり倒れたりするだろうということは、阪神淡路大震災の惨状を見るまで、首都高の高架はどこか頼りないなとは思いつつも、あのように倒壊するとは思っていなかった。必ずや大地震が発生するという前提で首都高速道路の高架は建設されているはずだから、まさか崩れ落ちないと思っていたのだが、どうやらそれはお人好しの思い込みというもので、崩れ落ちる可能性があったのだ。

 というのは阪神淡路大震災のあとから、首都高速道路の高架の橋桁などの補修工事をしているところを何度も目撃したからだ。その補修工事を何度も見ているうちに、大地震発生のときに首都高速道路の高架を走っていたらタダじゃすまないと考えるようになった。首都高速道路は大地震発生を前提に建設されていなかったのだろう。あるいはメンテナンスしていなかった。つまり首都高速道路の建設を決めて実行した政治家も官僚役人も、大地震が発生したら倒壊の危険性があることを放置していたという驚きである。

 だからいまさらながら思えば東日本大震災で、福島第1原発が爆発事故を起すのは、想定内だったとさえ言いたくなる。爆発とメルトダウンは、御用学者たちがお題目のように発言していた「あり得ない確率」ではなかった。もちろん「絶対安全」であるはずがなかった。絶対安全なんてものはない。

 そういう状況を経験した僕は、巨大な自然災害は回避できないし、かつまた政治家や官僚役人はやっぱり信じられなかったという、とても絶望的な気分を味わった。この国で半世紀以上も生きてきて、まだ政治家や官僚役人を信じたいのかと笑われてしまうかもしれないが、まさか原発が爆発事故とメルトダウンを起すとは思っていなかった。いくらなんでも、それはないだろうと思っていた。チェルノブイリとスリーマイル島の事故があったのだから猛烈に危険な発電所であることはわかっていたけど、これほど脆弱なものだとは考えられなかった。政治家とか官僚役人とか電力企業の幹部という人間たちは、この程度の人間たちだったのだという驚きと失望だ。

 しかしすべては現実になってしまった。僕はあきらめるしかないと思った。こういう世の中に生きていることを宿命だと思うしかなかった。あるいは、世の中というのは、どんな時代にあっても、この程度のものだ。

 そのことはコバヤシ君も同じだった。コバヤシ君が子供の頃に『ノストラダムスの大予言』による終末思想に影響をうけていたことは、すでに書いた。そのコバヤシ君と話していたときに、彼はこんなことを言った。

「ノストラダムスが予言した人類滅亡の終末というのは、僕にとってひとつのロマンチシズムだったと気がつきましたね。もちろん人類滅亡の日を楽しみに待っているというのではなくて、SF的な想像力を最大に楽しむというようなロマンチシズムです。しかし大震災、大津波、原発爆発があって、人類の滅亡というのは何のロマンもないと思うようになりました」

 コバヤシ君はひとつロマンを失ってしまった。人間というのは、ほぼ誰でも、ロマンチックな気分をどこかに持っていて、案外それが生きるエネルギーのひとつになっていることが多いと僕は思う。ロマンチックな気分とは、つまり夢や希望である。夢や希望を失ったら、これは辛い気分だろうと僕は思って、大震災が僕らにあたえた影響は、こういうことにあるのじゃないかと考えるようになった。つまりこういう生きる辛さを、大震災で、いまの日本人全体が感じてしまったという考えだ。そういうことを自覚している人もいるし、自覚していない人もいるのは当然だが、どこかで日本人全体の心が壊されてしまったというようなことだ。

 もちろん、目の前の不幸に立ち向かって生きていかなければならないのが人生というものだ。いつも幸福だという人はいるはずがなく、ふつうの市民の人生というのは、何事もないさざ波のような日常生活という、ささやかな幸福が続けば安心し、辛い不幸がやって来るのにそなえているようなものだろう。不幸に襲われたら逃げ出すというアイデアだってあるわけで、だとしたら立ち向かうという言葉は正確さに欠けるかもしれない。目の前の不幸を見て見ぬふりをするというのも、人生の知恵ではあるだろう。やり過ごしてしまうのも、次の世代へと先延ばしすればいいのかもしれない。どのような方法を選んでも、辛さは変わりない、そういう辛さを大震災は僕らにあたえてしまったのではないかと考えるときがある。

 とくにコバヤシ君と話していると、そういうことを深く考える。


2013.02.12|11:13|中部 博

▲このページのトップへ