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NONFICTION フクシマのゴウ君とミヤギのコバヤシ君

『フクシマのゴウ君とミヤギのコバヤシ君』連載第30回

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大震災時に生活していた家の前で大地震発生の状況を語るコバヤシ君。2012年の夏の終わりに撮影した写真。
撮影/大島康広 1977年佐賀県嬉野市生まれのフリーランスカメラマン。

復興から置き去りにされていると思える「人の心」

 人の心はとても複雑だ。「わたしは単純で単細胞だから、くよくよ悩んだりしない」という人がいたとしても、それは性格であったり、そのように生きたいと思っているだけで、その人の心が単純だということにはならない。

「気の持ち様でいかにでも生きられる」というのも、そういう人はいるだろうけれど、そうでない人もいるというぐらいに、人の心はさまざまで複雑だ。忘れようと思って、忘れたはずのことに、いつまでたっても悩まされるのが人の心というものだ。

 2011年3月11日の東日本大震災と大津波、そして福島第1原発の爆発事故という、巨大な自然災害と完全な事故処理が不可能と思える人災事故が起きたあと、その被災者たちの肉体と心にあたえた影響は計り知れない。そのときに人生を終わらされてしまった人たちや、大震災と大津波と原発爆発が原因で亡くなった人たちが合計2万人以上いて、その現実を目撃した人たちは数十万人いた。

 被災者として行政に認められている人たちは、およそ32万人がいて、それ以外でも東日本から自主的に避難した人たちは数えることができない。僕のまわりでも東日本から避難ないし、引っ越しした人たちはざらにいる。

 大震災と大津波の報道を見て読んで、生き方が変わった人たちや、原発爆発で自分が被曝したと感じた世界中の人たちを考えていくと、いったい何千万人の人たちが体と心を痛めたものだろう。これは世界戦争に匹敵するというのは、けして大袈裟な言葉ではない。

 僕は大震災のときに東京で生活していたが、あれから自分が生活する社会に対する不安は大きくなるばかりだ。地震が多発する国土で生まれて育ち、必ず大地震が発生すると社会教育をうけつづけ、そこに50基以上の原発があるというのは、日常生活のなかでいちいち気にしているわけではないが、ふと心をしめつけるような強い不安を感じるときがある。そういう人の心を日本の為政者たちは、ほんとうに考えているのだろうかという不安がいちばん大きい。経済を根本で支配しているのは感情だというが、社会をなりたたせているのも感情だと僕は思う。

 ミヤギのコバヤシ君は、そのひとりだ。彼は行政が認めた被災者で、住んでいた家が半壊したので支援金をもらっている。家族や親しい人たちが犠牲になっていないし、生活する地域で多くの犠牲者が出てしまったわけでもない。

 だが、コバヤシ君はいまも言うのである。

「大震災からいままで、大震災前の精神状態とちがう。普通の精神状態ではないと思う。すべての現実から逃避したいというような無気力な気持ちがいつもしている。だから酒を飲む時間が増えた」

 そういう感じ方をするのは、70キロ離れた福島第1原発で異変が起きると、にわかに集中豪雨におそわれたりすることに気がついたからだけではない。2012年の夏に、全長2センチ以上のカブト虫やクワガタを見かけなかっただけでもない。そういうことが重なりあってコバヤシ君の心を痛めている。

 コバヤシ君は、こういう細かな心の動きについて語ったことがある。彼は大震災のあとに、仙台市の行政当局が調査発行する記録誌の編集制作の一員となって働いた。さまざまな分野の人たち約100人の聞き取り調査取材をしたというのである。

「これは意義のある仕事だから、熱心にやりました。いまこそやっておかなければならない仕事です。残しておくべき記録になる。だけれど自分も被災者のひとりなのだけれど、過酷な被災状況にあった人や生活を破壊されてしまった人たちと会って取材していると、被災地を外側から見ているだけという感覚になってくるのです。自分は被災者だということを表明するのが、はばかられる感じがしてくる。東京や埼玉にいる家族や親戚、友人知人に、被災者として心配されると、何だか申し訳ないような複雑な気持ちになりました」

 大震災以降、元気がなくなっているので心配だと、コバヤシ君の奥さんは言っていた。

2013.02.04|07:05|中部 博

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